しつけ2
(昨日からの続き)
しかし、両親はダメなのです。
新しい知識を学ぶことを拒否して
あくまで自己流の
しつけ方にこだわるのです。
そうして
今日はそそうをした
今日はそそうをしなかったと
そんなことで一喜一憂しています。
「しつけ」はそんなに簡単に
一日で成るものでもないはずなのに。
でも、コータはとても良い子です。
私たちがしつける前から
もう充分に良い子でした。
母は良く、同じ犬種を飼っているという
友人の話をひきあいに出すのですが
(その子もコタロウというらしい)
そのもう数才になっているオス犬は
未だにその辺にそそうをし
ウンチだってトイレでなどしないそうです。
コータはウンチはちゃんとトイレでします。
名前を呼べば、「何?」と呼んだ人の顔を見ます。
夜亡きや無駄吠えだってしません。
これは自慢ではなくて、
そういう資質を持った彼を迎えられた
自分たちの幸運を喜び
さらに生かした方がいいと思ったのです。
しかし……結局は
私が折れるしかありませんでした。
私は今後、「しつけ」に関する意見は
いっさい言いません。
両親の好きなようにさせるつもりです。
しつけ
私は実際に犬を飼う以前から
自分たちに犬を飼う資格があるとしたら
それは「世話」と「しつけ」が
ちゃんとできるかどうかだと
考えていました。
我が家の場合
「世話」に関してそれほど
心配していませんでした。
実際、一度飼った犬・猫は
これまでも死ぬまで面倒を
見てきています。
しかし・・・。
「しつけ」に対する認識は
首をひねらざるをえませんでした。
私の耳に入ってくる情報と比較すると
両親のやり方は
昔ながらの古いやり方で
実際に犬を「しつけ」る場合
あまり効果的とされている方法では
なかったのです。
うちの両親の考える「しつけ」は、
餌を前にして
「待て」「お座り」「お手」ができて、
部屋の中で「そそう」をしなくなればいい
程度に考えています。
(彼らのしつけ方ですと
その「そそう」をしなくなる・・・というのも
はなはだ疑問なのですが)
でも、私の考える「しつけ」は
それだけでは不十分です。
イギリスなどの
ペット先進国では
犬に散歩をさせるとき
リードなど使わないと聞きます。
それは野放しにするということではなく、
犬が飼い主の言うことを
ちゃんと聞くために、
リードがなくても
勝手な行動をとらないからです。
私の理想はそれでした。
別にスーパー犬を作りたいわけでは
ありません。
そのように犬をきちんと
しつけることができていれば、
自分たちが「飼いやすい」のはもちろん
世間にも迷惑をかけずにすむと
思ったのです。
夜の遠吠えや無駄鳴き、
散歩の途中での
あっちこっちでの放尿、糞。
これらは犬を飼っている側以上に
飼っていない側の人たちにとって
たまらないほどの迷惑行為です。
これらはきちんとしつければ
コントロールできることがらの
はずなのです。
実際に外国ではやれているのですから。
ですから私は
実際に犬を飼うとなったら
最新の犬のしつけ方の知識を
飼い主である自分たちが
面倒くさがらずに勉強をし
犬の特性をよく理解する必要があると
思っていました。
そしてその知識を
家族がみんなで共有したいと。
(明日に続く)
お散歩ダッシュ!
散歩においても
「しつけ」はついてまわります。
なにせ最近の定義では
犬の散歩とは
排泄や運動不足の解消のため
というよりもむしろ
「社会性」とやらを
もたせるために
やるものらしいのです。
要はうち弁慶にならないよう
他犬との接近遭遇や
光、音、その他様々な
外的刺激を体験させた方が
良いのだというわけです。
そして問題の「しつけ」ですが
主人を引っぱるように
勝手に走り回わらせてはダメ。
常に自分の横を歩かせるよう
「つけ」という命令を覚えさせる。
散歩も漫然と歩くのではなく
時に早足、時に立ち止まり、
時に走るなど
変化をもたせるべし、など
やることがたくさんあって、
まるでどっちがしつけられてるんだか
わかりません。
とりあえず、公園まで行きました。
枯れ葉が風に舞う様子に
コータははしゃぎまくりです。
そのうち、ふと思いついて、
手頃な長さの木の枝で
落ち葉の中をひっかくようにして
動かしてみました。
案の定、コータはそれを追いかけて
ダッシュ!
初めはその辺をぐるぐる
円を書くように追いかけさせていましたが
こちらも調子に乗ってきて
公園の端までダッシュ!
コータもそれを追いかけてダッシュ!
私とコータは何本も何本も
公園の中で
ダッシュをくり返したのでした。
あー、疲れた。